今日は、春のような暖かい日曜日。
午前中に瞑想会に行ったら、あまりにも身体が緩んでしまい、自宅に帰って、しばらくお昼寝していました。気がついたら、涙を流しながら寝ていた、、、
そういえば、今朝ひいた禅タロットは「sorrow」だった。
深い悲しみ、、、
瞑想会の帰りの電車の中で、偶然、「悲しみ sadness」という、OSHOの美しい言葉を読んだ。
ほんとうの愛は
いつも悲しみをもたらす。
それは避けがたい ー
なぜなら、愛はあなたの
真実の姿への新たな扉と
なりうる空間を作り出すからだ。
愛は薄明の状況をもたらす。
~ 中略 ~
愛における悲しみを
祈りへの巡礼の旅にしなさい。
この悲しみの経験を
深みにおける瞑想にしなさい、、、、OSHO「英知の辞典」
木曜日に、関西で、亡くなった友人のデスセレブレーションがあって、
日程的にかなりきつかったので少し迷いましたが、行ってきました。
信じられないくらい美しいセレブレーションでした。
美しい音楽と歌とダンスと、、、祈りと、、、
彼女と出会ったのは、もう35,6年前。
東京で、とってもお洒落な帽子を作って売っていた。
それからふたりとも、いろんな人生を歩んで、13年前に、インドで再会した。
そして、また、1年半前に、今度は、関西のセレブレーションで出会った。
彼女も、私も、音楽が、ダンスが、歌が、大好きだった。
その頃もう、彼女は、病で闘病中だったけれど、いろいろあって、落ち込んで生きる意欲をなくしていた私を、ものすごく励ましてくれた。。
「ミータ、喪失感はやばいよ! まだ、怒りのほうがずっといい、、」
お陰で私はなんだかんだと生きていて、
美しくユニークな彼女は、この冬、すーって亡くなってしまった。
先日のデスセレブレーションの、ほんとに美しいエネルギーの中で、
ああ、彼女はほんとに今、美しいスペースにいるんだな、、って感じました。
死も生も、ほんの少し違うだけで、同じ事なのかもしれない、、、
でも、せっかく、まだ、私は命をいただいているので、
死が訪れる瞬間まで、大切にこの生命を使わせてもらおう。。。
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今年に入ってから、私の女性側は、水の中に沈んでるような静かな日々を送っています。
でも、先日、私のマスターOSHOに
「まあ、休むのもあと1ヶ月くらいにしなさい」って言われてしまいました。
ゆっくりゆっくりと冬眠から覚めるかな、、、
セッション、オープンしています。
詳しくは premmita.com へ
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