セッションのご感想

前回、サイキックマッサージのセッションを受けてくださった方から、
とっても丁寧なご感想をいただいたので掲載させていただきます。

ご本人の了承をいただいています。

セッションは守秘義務がありますので、勝手に人に話したり、文章に書いたりしません。ご安心ください。

 

あと、サイキックマッサージのセッションは、下着1枚になっていただき
(オールヌードでも平気です)全身をシーツで覆い、必要な部分だけを

タキオンクリームでタッチしていきますが、服を脱ぐことに抵抗のある方は、着衣のままでも受けることができます。

 

下記の文は、セッションの翌日に、美しい感想を送ってくださり、
それに返信した私のメールに、また、お返事くださった文の抜粋です

 

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(私)>前回のセッションは、才能とエネルギーのある男性性が、自分のクリエイティビティのスペースを取り戻す、というのが、テーマだったと思っています。
>それによって、深い愛を持って介護をしてらっしゃるけれど、自己価値の低い妖精のような女性側も、グランディングしていく、、そんなセッションでした。

 

ミタさんに言葉にし総括していただけると心強いです。
心もとなくなった時も、このミタさんの言葉を読み返し、再確認できます!

あの右半身に身体的感覚として抱えていた不自由さ、そのための息づまるような存在の感覚、その理由をすっきり納得できました。そのエネルギーも身体から消えてゆきました…。

「介護生活で男性性の方の本来の拡大するエネルギーが抑えまれているのだから、
怒るのは当たり前」

「母へぶつけてしまう苛立ちの感情を罪悪感のように感じる必要はないのだ」
やっと理由がわかり、楽になれました。

マッサージ後のチェックで、右眼側の男性性の私に「介護をしてるのはあなたですか?」と問われた時

「いいえ」と即答した感覚は、とても不思議でした!

あの時の感覚を思い出せば、もう男性性の私をないがしろにはできない気がします。
そして臆病で繊細で幼い割に主導権をとっている私の女性性。
チェックの問いの最後に、女性性が、自由に自己を発露したい男性性を理解し受け入れた時
互いが握手したように感じられました。
左右のエネルギーの変化がはっきり感じられました!

それから、翌々日、芽吹きの縄文の丘を散歩しながら、ふと思いあたったことがあります。
「セッション以前の私の女性性と男性性の関係は、母と父の関係に似ている?!」

持て余すほどのエネルギーを内面に抱えながら人生で解放しきれず、いつも家の中で激しく感情を爆発させていた父。そんな父の自由な精神と行動力に怯え、恨みツラミの言葉で抑えこみ束縛しようとしていた母。

逝く直前まで母に怒りをぶつけていた父の姿を思い出しながら、
近の私はどんどん父にそっくりになる、と感じていたのです。

若い頃は未知の世界にかき立てられると抑えが効かず旅立ってしまう私を、
あの手この手で阻もうとした母の陰湿さに対し
清々しいまでに手放しの喜びで私を旅へと見送ってくれた父のことを、とても思い出しました。

父は、もっと存分に自由に創造的に人生にトライしたかったんだろうな、と思います。
そして、父が逝った後、急激に認知症的になっていった母が今、
りも自分も振り回す無邪気なエネルギーを止めることができないでいるのはもしかして母もまた、本来の恵まれた男性性のエネルギーを抑圧してきたのからではないでしょうか。

ミタさんのセッションの後、そんな気づきの流れが続いてる感じがあります。

さっき宮崎駿監督の「風立ちぬ」という映画をテレビで観てたのですが
まさに、創造と破壊、死と再生という、男性性のエネルギーをテーマにした映画だったのですね。

以前に観た時より、純粋に監督の表現したかった世界観を感じられている私がおりました。
以前は「美しい飛行機を造りたいというエゴは、結局戦争に加担したんじゃないか」とか、「戦争下で女性は犠牲者」といった、批判的な見方をする部分の私が以前はどうしてもいたのです。

父の男性性のエネルギーを抑えたがる母の中にも、また誰の中にも多かれ少なかれ、戦争に象徴される男性性の破壊的側面への恐れが影響してるのでしょうか。
男性性と女性性って、とても難しいですが、探求しがいのある魅力的なテーマですね。

宮崎監督が描きたかった、葛藤の中でも抑えがたい創造への溢れる純粋なエネルギー、それが生きるということ、そんな映画のメッセージを、今は肯定的に受け止められる自分の変化を感じられたことは大きかったです。

(私)>いつも思いますが、ひとりひとりの内側は、とっても美しくて、素晴らしい宇宙。

そうなのですね〜。
その美しく素晴らしい宇宙を人生で実現できる時代でもあるんですよね。
私はずっと自己評価が卑屈なまでに低い方だったと思いますが
セッション後に感じている変化を言葉にすると、そんな感じに近いかもしれません。
<私という宇宙>を少し感じ初められているかもしれません。

 

写真は縄文の丘の散歩道で撮った小道です。
今までの自分の体じゃないくらい、ちっとも疲れず、ぐんぐん歩けました!

★ 4月5月 セッション可能日は、カレンダーをご確認ください。

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